くまざわの自分時間

私を知る。私を創る。自己理解と自己研鑽のブログ

「家族」って何?家族という枠組みに縛られたくない!

どうも!

あらゆることに疑問を感じ、

ついには家族のあり方にすら疑問をもつ

くまざわです。

 

急に家族とはなんぞやと思われるかもしれません。

ただ僕にとって、家族について考えることは今や日常。

 

それは大学で児童福祉を専攻していた頃から。

テーマは児童虐待

 

大学1年生の時にこのテーマに触れ、

「どうして自分の子どもを叩いたり、無視したり、殺してしまったりするんだろう」

と憤りを通り越した疑問を抱きました。

 

僕が家族について考え始めたのはこの時からです。

 

 

くまざわも家族のことで悩んでいた

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ボク自身、家庭に何か特別な事件とかがあったかと言えば、そんなことはありません。

叩かれたりしたわけでもないし。

ご飯を食べれなかったわけでもないし。

野球もやらせてもらえたし。

大学にも通わせてもらえた。

 

恵まれてるなぁと言われてしまうような育ちです。

ボクもそう思って生きてきました。

 

けど、ボクはボクのことで父さんと母さんが喧嘩している光景を見てきました。

父さんと母さんの怒鳴りあう声はよく覚えています。

 

まぁそれもボクと父さんが喧嘩して、

仲介に入る母さんがそのまま父さんと喧嘩になる

って構図が多かったですが。

 

なんにせよ、ボクは

「ボクのせいで父さんと母さんが喧嘩する」

と感じて生活してきました。

 

自分はダメな人間

https://www.police.pref.aomori.jp/seianbu/syounen/image/jigyaku11.JPG

気の短い父さんなので、喧嘩すれば

「お前みたいなやつが」

「バカが口出しするな」

「お前なんかうちの息子じゃない」

とかそういうマイナスな言葉を浴びせられました。

 

そういう言葉で育てられたためか、とにかく自分に自信がないです。

だから人に劣ることが怖い。

だから努力するっていう行動をしてきました。

 

「バカだなお前は」

「わかってないのに口出しするな」

と言われるから言わせないように勉強を頑張りました。

「こいつよりいい学歴とって見返してやる」

と反骨心を持っていましたね。笑

 

自分を高めることだけに意識し続ければいいですが、

無意識に相手を下に見たりとか、

欠点を粗探ししたりとか、

そういうひどいこともしてきたと思います。

そこは改めて反省しなくてはいけないところです。

 

ただし、こと父親に関しては別。

反省なんてしないぞというスタンス。

 

誰になんと言われようが、

父親の心無い言葉によって、

自分はダメな人間なのだ

と心のどこかで思ってしまうのです。

 

そんな育ちをした僕が今一番欲しいものは自信です。

 

ボクが生まれたことで、母親の人生を縛った

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今になって思うのですが、

ボクが悪かった面を考慮したとしても

控えめに言って理不尽な父親だったと思います。

 

それを感じて次に思うことは

よく母さんは離婚しなかったなと。

そのことを母さんに伝えたところ、

「何度別れようと思ったか。けど、あなたのこと考えるとね」

と言ってました。

 

母親心に感動する場面ですが、

ここでもボクはこう思ったわけです。

「ボクはボクが生まれてきたためにこの人の人生を縛ったんだな」って。笑

 

なんとひねくれ者!笑

そう思われる方もいると思いますが。。

 

でも!

そういう側面もなくはないですよね。

この男と離婚していたら母さんはもっと自分に正直な生き方ができていたかもしれない。自分が自分の母親の人生を縛ってしまったんだな。という側面。

 

横柄で理不尽な父

自己犠牲で我慢の人生の母

そんな2人の息子のボク。

 

こうして見ると、家族に対する感情的な見方はどうあれ、

家族について考えるタネは

もともと持っていたのだなと思いました。

 

だからボクは自分の人生のテーマは

「家族」なんじゃないかと思うのです。

 

虐待だろうと、

そうじゃなかろうと、

もっとも身近な存在の家族の存在は

自分の性格などのアイデンティティ

大きな影響を与えていることは明白です。

 

それを身をもって実感しています。

 

これからの時代の家族の形

こういう話をしていて、

気持ちはマイナスに向きやすいですが、

ボクはむしろこれからの時代の「家族のあり方」を考えるための経験だったと捉えています。

 

最近では「シェアハウス」という言葉も一般的になってきました。

血縁関係でない人と共同生活を送ることが普通になってきた現代です。

それならいっそ共同生活を営む者を家族としてもいいはず。

信頼の置ける人、それが家族でもいいでしょう。

 

心から信頼の置ける複数人で住居を構え、そこで生活するスタイルって僕からすれば全然苦じゃないです。

苦痛なのは、それに世間の目があったりすることです。

肝心なことは家族に対する偏見・ステレオタイプです。

 

どういうことかというと、

家族という昔から今までのステレオタイプ(価値観)をぶっ壊して新しい家族像を世間がもっと当たり前のこととして受けれる時代なのではないか?ということです。

 

自分の父親父親だから、家族だからという理由で

無条件に大切にすべきとか、老後のお世話をしなくてはいけないでしょとか、そういう根拠もへったくれもない「当たり前」論が嫌でこういう記事を書きました。

 

もちろん、家族のあり方を変えるとすれば

多々課題やら法的な問題などはあるでしょう。

それは織り込み済みで。

 

それでも家族という世間の枠に苦しんでいる人にとって、

産んでくれた親のみがあなたの家族という縛りがないだけでも救いです。

救いと感じる人がいるんです。

 

今は受け入れられなくとも、「家族」という言葉・概念・定義に縛られて、苦しむ人が大勢いるならば、それをなくすか、あるいは概念を変えてしまうことも必要なはずです。

 

こういった話は、家族に対して疑問や憤りを感じていない人。家族について特にニーズがない人には「馬の耳に念仏」級にトンチンカンな話かと思います。

 

しかし、実際に虐待を受けたり、育ちの中で苦しんできた人。家族について真剣に悩んできた人、家族ということに関して苦しんできた人からしてみれば、家族という定義やそのあり方が変わることって肯定的なことなのではないかなと思います。

 

愛知でそういう家族についてとか、愛とか、人生というテーマについてみんなで学んでいくコミュニティもあります。

もし苦しんでいる人がいれば一緒に考えたり悩んだりしましょう。

 

僕もそのコミュニティに入って救われたところは大きいです。

 

 

とにかく、血縁なんかに支配されない

もっとフランクな家族の形が今後出てくる。

 

信頼や志を軸にした共同体としての家族。

数十年後のその未来に向けて、

今は人との信頼関係を蓄えておかないとね。

 

 

おーしまい!